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2026.06.22

多様性を知ろう! お互いを尊重し合える職場とは|Tokyo Pride事前勉強会レポート

SmartHRのカルチャー浸透とDEIB推進をそれぞれ担当するMirandaとTomariによる対談イベント「多様性を知ろう!」。教科書的な知識ではなく、Mirandaがこれまで直面してきた葛藤や気づきをベースに、お互いが本当に尊重し合える職場づくりについてフラットに語り合いました。
※ 本記事は勉強会の文字起こしを記事化したものです
※ 文中の資料画像は当日の資料をそのまま画像化したもので、一部文字が小さく見えづらいことをご了承ください

この記事に登場するメンバー

  • 人事統括本部 DEIBユニット

    Tomari

    2024年7月

    入社

  • CEO直下 カルチャー室

    Miranda

    2024年7月

    入社

「セクシュアリティ」とはなんなのか

Tomari: 最初のセクションとして、まずは基本となる「セクシュアリティ」の捉え方について整理していきましょう。セクシュアリティという概念は、決して「男性か女性か」「異性愛か同性愛か」という単純な二元論で割り切れるものではありません。

主に以下の「4つの要素」の組み合わせや、それぞれの要素の中にあるグラデーションによって成り立っています。

  1. 出生時に割り当てられた性: 染色体や生殖器など、身体的特徴を元に医師や周囲によって判断された性別です。厳密には、この身体的な性についても単純な男女の二択ではなく、グラデーションが存在することが分かっています。

  2. 性自認: 自分の性別を自分自身でどう認識しているか、という要素です。自分を男性と認識する、女性と認識する、あるいはそのどちらにも完全に当てはまらない(ノンバイナリーなど)、といったあり方があります。

  3. 性的指向: どのような性を持つ人に対して恋愛感情や親密な好意、あるいは性的関心を抱くか(あるいは特定の誰にも抱かないか=アセクシャルなど)という要素です。

  4. 性表現: 服装、髪型、言葉遣い、立ち振る舞いなど、自分のジェンダーを外部に対してどのように表現するか、という要素です。フェミニンな表現、マスキュリンな表現、中性的な表現などがあります。

重要なのは、これら4つの要素はそれぞれ独立しているということです。
よくある誤解として「外見がフェミニン(性表現)だから、きっと恋愛対象は男性(性的指向)だろう」とか、「体は男性(出生時の性)だから、心も男性(性自認)に違いない」といった決めつけが生まれがちですが、それは無意識のバイアスにすぎません。

これらの要素は、人を細かく分類してラベルを貼るためにあるのではなく、「他者に対する安易な決めつけを減らすための整理棚」として存在しているのです。 Mirandaさん、この4つの要素を Mirandaさん自身のあり方に当てはめてみると、どのようなプロファイルになりますか?

Miranda: 私をこの4つの要素に当てはめるなら、まず「出生時に割り当てられた性」は男性です。しかし、自分自身の性をどう認識しているかという「性自認」、そしてそれをどう外部に表すかという「性表現」においては、男性・女性という従来の二者択一の枠にとらわれない「ノンバイナリー」という自覚を持っています。

そして、どのような人に惹かれるかという「性的指向」は男性に向いています。ですので、自分のあり方を一つの言葉で表現するならば、「ノンバイナリーのゲイ」ということになります。

Tomari: ありがとうございます。自分のあり方を無理に既存の型に当てはめる必要はない、ということがよく分かります。また、ジェンダーやセクシュアリティというのは、人生を通じて変化することもあると言われていますよね。

Miranda: まさにその通りですね。性自認や性的指向は、ライフステージの変化、年齢、あるいは様々な出会いや経験を経て、グラデーションの中で緩やかに変化したり移動したりすることがあります。
「一度こうだと自認したから、一生そのままでいなければならない」というルールはありません。

本人がその時々で自分をどう感じ、どう表現したいかが一番大切です。周囲の人間にとっても、「彼は昔こう言っていたから」と過去の開示に縛られるのではなく、その時々のグラデーションの変化も含めて、ありのままを受け止める姿勢が求められるのではないかと思います。

職場における「何気ない一言」の影響力

Tomari: ここからは、より具体的な「職場でのコミュニケーション」に焦点を当てていきたいと思います。

日々の業務や何気ない雑談の中で、私たちは知らず知らずのうちに誰かを傷つけたり、あるいは過剰に身構えてしまったりすることがあります。

Miranda: 職場でよく見られるケースとして、「男のくせに根性がないな」とか「女性なんだから、会議の時にお茶を淹れたり細かい気遣いができて当たり前」といった、固定的な性別役割分担の押し付けがあります。

また、恋愛や結婚の話題になったときに、「彼女はいるの?」「なんで結婚しないの?」と、相手が異性愛者であることを前提として質問してしまうことも、日常茶飯事です。

これらは、多くの場合、発言している本人に悪気はありません。むしろ良かれと思って、あるいは親しみを込めたコミュニケーションのつもりで発せられていることがほとんどです。しかし、悪気がないからこそ、根深く、そして言われた側にとっては非常に厄介な問題になります。

Tomari: 本当にそうですね。「悪気がない」というのは、裏を返せば「相手がどう感じるかについて無自覚である」ということです。言われた側は、その発言に違和感や傷つきを覚えても、「相手に悪気がないから、ここで指摘すると場の空気を壊してしまうかもしれない」と、我慢して笑ってやり過ごすしかなくなってしまいます。

結果として、本人の尊厳や職場での安心感がじわじわと削られていき、「この職場では、本当の自分を出してはいけないんだ」「自分を隠して、周囲が期待するキャラクターを演じ続けなければならない」と、自分自身を抑え込むようになってしまいますよね。それが積み重なると、自分らしく働くことからは程遠くなってしまいます。

Miranda: そして、これは単に「セクシュアリティ」だけの問題に留まりません。性別、年齢、恋愛観、既婚・未婚、外見、家庭環境、あるいは育児や介護の有無、さらには宗教や政治的な信条なども含めて、あらゆる違いに関係してきます。

「この環境では自分の本音やバックグラウンドを語れない」と感じる人が増えてしまうと、組織全体の心理的安全性は著しく低下してしまう。
お互いの表面的な部分だけを取り繕って仕事を進めることになるため、表面上は波風が立っていなくても、深い部分での信頼関係やチームワークは築けなくなってしまいます。

私たちが会社のバリューとして掲げている「早く、遠くに、共に行く」を実現するためには、多様な個人の力を最大限に引き出す必要があり、そのためにはお互いの相互理解と心理的安全性が必要不可欠なんです。

Tomari: 一方で、こうしたバイアスを排除しよう、失礼な発言を控えようと意識するあまり、今度は逆に「過剰な気遣い」や「腫れ物扱い」になってしまうという悩みも、マネジメント層やメンバーからよく耳にします。
「セクシュアリティやプライベートな話に触れるとハラスメントになるかもしれないから、一切その話題には触れないでおこう」と、過度によそよそしくなったり、コミュニケーション自体を避けて遠ざけてしまうケースです。これはこれで、寂しいものがありますよね。

Miranda: そうですね。そもそも、完璧に相手を理解し、絶対に傷つけない言葉遣いを常に徹底するなんて、誰にとっても不可能です。それよりも大切なのは、知識として完璧であることではなく、「相手への尊重」と「歩み寄る姿勢」なんです。

もしコミュニケーションの中で、自分の発言が相手を不快にさせてしまったかもしれないと気づいたら、あるいは指摘されたら、その時に「ごめんなさい。今の私の表現は配慮に欠けてました」と素直に認め、学び、次から訂正すればいいだけ。

間違いを恐れて対話そのものを拒否してしまうのは、本当の意味での尊重ではありません。お互いに間違いながらも、対話を続けて歩み寄ることこそが、心地よい職場環境を作るベースになると思います。

自分を隠して過ごした20代と、社会の壁

Tomari: ここからは、Mirandaさんがこれまでに経験された具体的なエピソードをお伺いしたいと思います。
先ほど、ご自身のセクシュアリティについてお話しいただきましたが、これまでには様々な葛藤や、苦い経験があったのですよね。

Miranda: 私は幼少期から「自分は周りの男の子たちとは、何かが決定的に違うようだ」という感覚を抱えていました。
当時はまだ、テレビのバラエティ番組などでもセクシュアリティを揶揄したり、笑いのネタにしたりすることが当たり前の時代。学校生活でも、周囲から心ない言葉を投げかけられたり、からかわれたりすることが多く、子ども心に「自分のあり方は、この社会では歓迎されていないんだ」「普通ではない自分は、隠れて生きていかなければならないんだ」という強い抑圧を感じていました。

当時は毎日が苦しくて、「早く大人になりたい。大人になれば、こんな理不尽なからかいや嫌がらせはなくなって、もっと自由な世界が待っているに違いない」と、すがるような気持ちで一日も早く学校という閉鎖的な空間から卒業できる日が来ることを願っていました。

でも、現実は甘くなかった。
新卒で入社した会社は老舗企業で、配属されたのは10人未満の非常に閉鎖的な環境です。あからさまに男女が区別される、古い体質が残る環境でした。

あれほど待ち望んでいた、理不尽さのない大人の世界なんて存在せず、先輩や上司から「お前、ホモなんだろ?」という言葉を日常的に投げかけられたんです。

当時の私は20代前半で、社会に出たばかりでした。
何の力もなく、言い返すことなんて到底できない。ただ「違いますよー!」と笑ってごまかすしかありません。そうやって道化て見せることで、その場の空気がこれ以上悪くならないように、これ以上の攻撃が来ないように、必死で自分を守っていました。

でも、毎日仕事が終わって家に帰る道すがら、「大人になっても、社会に出ても、結局こんなことが続くのか」という思いが消えませんでした。

「もしかしたら私は一生、本当の自分を隠し通し、心ない言葉を受け流すだけの人生を送らなければならないのかしら……」と、自分自身にうんざりしてしまったんです。
当時は本当に追い詰められていて、「ここではないどこか、私の過去もセクシュアリティも誰も知らない場所に行って、全く違う人間として生き直すことができたらどれだけ楽だろう」と、そんなことばかりを考えていましたね。

Tomari: そこまで思い詰めるほど、当時のMirandaさんにとって心理的なプレッシャーが大きかったのですね。

Miranda: 若い自分にとって、その職場は「世界のすべて」に近かったんです。もしそこで「お前のその態度が気に入らない」とコミュニティから排除されてしまったら、生きていけないという恐怖があった。
それに、学生時代に友人にスマートフォンを勝手に見られてしまい、ゲイであることを必死に隠してきたのに、まったく意図しない形で詮索され暴露されたことで、人間関係の継続を揺るがされたという強いトラウマを抱えていたことも、私をさらに臆病にさせていました。

学生時代でさえあんなに嫌な思いをしたのに、これが会社という利害関係のある組織の中で起きたらどうなるか。
職場の居場所だけでなく、職を失い、キャリアも生活もすべてが崩壊してしまうかもしれない。その重圧と恐怖が、私に本当の声をあげることを完全に諦めさせていたんだと思います。

人生を変えた、最初のカミングアウトと「心の解放」

Tomari: その後、人生の転換期となる出会いがあったと伺いました。

Miranda: そうなんです。相変わらず自分を隠し続けていた20代の終わり頃、同じ職場で、毎日のように仕事終わりに他愛もない話から仕事のこだわりまで熱く語り合える同僚ができました。彼女は私にとって、本当に心から信頼できる大親友になっていったんです。

そんな彼女と一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、私の心の中に別の苦しみが生まれてきてしまって。
「私はこんなに彼女を信頼しているのに、自分の核心にあるセクシュアリティの部分について、ずっと嘘をつき続けている。彼女を騙しているような気がしてならない」という、強い罪悪感です。

ある日の仕事終わり、いつものようにカフェで並んでコーヒーを飲んでいた時、「この子にだけはこれ以上嘘をつきたくない」と耐えきれなくなって、自分のセクシュアリティについて告白しました。すると彼女は「全然気がつかなくてごめんね。今まで一人で抱え込んでいて辛かったよね」と、私のありのままを受け止めてくれて。

その瞬間、周りに嘘をついて生きているという呪縛からフッと救われたような感覚を覚えました。

それまで私は「誰も知らない場所に行って、全く違う人間として生き直したい」と願っていたのに、「今ここで、私を理解してくれる大切な人の前で、私は私として、ありのままの自分を大切に生きていけばいいんだ」と、心から思えるようになったんです。

私の人生において、本当の意味で自分を取り戻した、最大のターニングポイントですね。

転職、そして職場全体へのカミングアウトがもたらした激変

Miranda: その後、29歳の時に転職した会社での初日のことです。
そこは働く社員のほとんどが女性という非常にエネルギッシュな職場でした。私が入社したその日の夜、ちょうど部門の忘年会があったて、ひょんなことから自分のセクシュアリティについてオープンに話す流れになったんですよね。

私が配属されたチームの先輩が「絶対に大丈夫だから」と背中を押してくれたんです。今の時代だとそういうムーブは問題になると思いますが、あの頃はまだそのあたりは緩かったので。

背中を押されるがままに、よしカミングアウトしてしまおう、と思いつつも、せっかく転職したのに、そんなことを言って大丈夫だろうかという気持ちが一瞬頭をよぎったのは事実です。
でも結果的に、みんな自然に受け止めてくれました。

その時、まるでグラグラしてる歯を抜くときみたいな、「あれ?」という感覚があって、一気に目の前が開けたような気持ちになりました。

もちろん、不特定多数の人に向けてオープンにするというのは、やっぱり怖さもあります。けれども、それから10年以上が経った今振り返ると、カミングアウトをしても、意外とそんなに恐ろしいことは起こらないんだな、と感じています。
私がいつも、こういう自分を受け入れてくれる職場を選んできたというのも、もちろんあるとは思いますけど。

普段の生活で嘘をつかなくていい安心感はとても大きなものです。
たとえば、恋愛トークは本来すごく楽しいものなのに、以前は相手の性別を置き換えて話さなければいけないモヤモヤがありましたが、そういう煩わしさから完全に解放されました。

自分の性表現としてのキャラクターを、無理に作らなくてよくなったことも大きいですね。実は小さい頃から、「俺」や「僕」という一人称を使うのが本当に無理で、何度もトライしてみたけど、どうしても自分のことを「俺」とは言えなかった。

カミングアウトしたことで、その「俺の呪縛からも解放されました。私生活でも職場でも一人称として「私」を使うことに今は何の違和感も恥ずかしさもありません。

やっと、自分がこうあるのが心地よいという内面と、普段の職場でのはたらき方や振る舞いが一致したんです。一日の大半を過ごす職場で、ようやく自分の本音で生きられるようになり、そこから本当に人生が180度変わったなと感じています。

もちろん、誤解のないように声を大にして言いたいんですが、私はすべての当事者に対して「職場でカミングアウトすべきだ」と主張するつもりは全くありません。
セクシュアリティを周囲に開示するかどうか、誰にどこまで話すかは、個人の絶対的な自由であり、プライバシーの権利です。隠したままでいたいという選択も、当然に尊重されるべきです。

ただ、私個人にとっては、このオープンにできたという経験が、世界を180度変えるほど素晴らしいものになった、という話です。

自分らしさを表す「ラベル」がもたらした安心感

Tomari: ありのままの自分でいられることが、人生を大きく変えるきっかけになったのですね。また、近年になって「ノンバイナリー」という言葉が社会的に認知されるようになったことも、Mirandaさんにとって大きな意味があったそうですね。

Miranda: はい、それは本当に救いというか、やっと見つけた! という感覚でしたね。
ゲイコミュニティの中には、どこか「男らしくあるべき」「こういう服装や体型がモテる」といった、独自のカルチャーや暗黙のヒエラルキーのようなものが存在していて。

私は出生時の性は男性ですが、自分の内面にあるジェンダー(性自認・性表現)は、そうした強固な男性性の枠組みにはどうしても馴染めず、当事者のコミュニティの中にいても、そこでもまた「私はマイノリティの世界の中にすら居場所がない、とんでもないはみ出し者だ」という疎外感を抱えていたんです。

でも、ここ数年で、男女という2つの枠組みにとらわれない「ノンバイナリー」という言葉や概念が広く知られるようになりました。
この言葉に出会った時、「あぁ、私がずっと感じていたモヤモヤの正体はこれだったんだ! 私は無理に男らしく振る舞う必要も、女になろうとする必要もなく、ただノンバイナリーとして存在していいんだ」と、パズルの最後のピースがピタッとはまったような衝撃を受けました。

自分を的確に表してくれるラベルがあるということは、私にとって「この世界に、自分のままで存在していい場所がやっと見つかった」という、大きな安心感をもたらしてくれた。
言葉の持つ力、そして正しく概念を知ることの重要性を、身をもって実感した出来事です。

多様性を知ったその先で、大切なこと

Tomari:自分らしくいられることが、どれほど個人のエンパワーメントにつながるかを改めて感じます。お互いを尊重し合える職場環境を作っていくために、私たちは日々どのようなことを意識していけると良いでしょうか。

Miranda: 自分を偽らなくてもいい、人格や尊厳を否定されないということはすごく大事だと思っています。
ただ、さっきも話したとおり、周囲に何をどこまで開示するか、安心できるかの尺度は人それぞれです。

私はオープンに振る舞うことが自分らしくいられることに繋がりましたが、そうしたくない人もいる。こうあるべきだという自分の定義で相手を判断したり何かを強要するのではなく、それぞれの考えや働きやすさをお互いに尊重することが、何よりも多様性の尊重につながる、ということが今日一番お伝えしたいことです。

この「多様性の円の図」は、私が以前文献で見つけて「すごくいいな」と思い今日お持ちしたものです。中心に「人格」という核があって、その周りを年齢や性別、国籍、経験といったいろいろな要素が何層にも取り囲んでいます。

ひとりの人間は、これら周りの要素をすべて踏まえた上での「人格」として成り立っている。だから一人ひとり違うんだということが、この図を見ると視覚的にすごく分かりやすいですよね。

周りの要素や属性だけでその人を判断せず、中心にある「人格」という部分を見ることが、何より大事だと思うんです。

Tomari: 本当にそうですね。属性というのはその人のたった一つの面でしかなくて、同じ属性を持っていても、一人ひとり全く違う個人です。

大事なのは、属性でくくって「私と一緒」「私と違う」と分けるのではなく、中心にあるその人自身をしっかりと見て付き合っていくことですね。

だからこそ、間違えたらどうしようと避けるのではなく、一歩踏み出してコミュニケーションをとることが大切なんだろうと思います。「プライベートに踏み込んではいけない」と避けがちですが、カジュアルに話せる方がパフォーマンス良く自分らしく働ける人もいますし、それを話したいか話したくないかも、まずはコミュニケーションをとってみないと分からないですよね。

Miranda: そう、察するって多分無理なんですよ。

私、よく言うんですけど、駅の改札で抱き合っているカップルだって、黙っていたらお互いの心は読めないじゃないですか(笑)。あんなにギューギュー抱き合っている距離でも、相互に理解するには言葉が要る。
親子だってそうです、私、親との会話で何が地雷になるか未だに分からないですから(笑)。

同僚ならなおさら分からない。だからこそ「聞いていいのかどうか」も聞かなきゃ分からないと思うんです。

DEIBの推進となると、お勉強や正しいマナーみたいに身構えがちです。
もちろん知識を持つことは大事ですが、究極はコミュニケーション。間違ったことを言ったって仕方がないし、言った方は反省して直せばいい。
言われた方も、すぐに相手を敵だと決めつけずに、「この人は勘違いしているんじゃないか?」とお互いに歩み寄るべきだと思っています。

だから、私は「察してね」とか「配慮しよう」というところだけに振り切るのはあまり好きじゃありません。みんなが安心して聞けるし、安心して話せる。それこそが一番究極の多様性かな、と思っています。

Tomari: 確かに。コミュニケーションに制限を設けすぎるのではなく、それぞれがお互いに言葉のコミュニケーションを大切にしながら、尊重していく姿勢を大切にしていきたいですね。

まだまだ話足りないところではありますが、今日はこのあたりで終わりにしましょう。Mirandaさん、今日はありがとうございました。そしてご視聴いただいた皆さんもありがとうございます!

当日の資料はこちらをご覧ください↓

文・編集/Tomari(DEIBユニット)Miranda(カルチャー室)
写真/Ishimayu(カルチャー室)

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