こんにちは。SmartHR CEO の芹澤(@masato_serizawa)です。
昨年末、「AI時代にSaaSは死ぬのか? 生き残るのか?」というテーマでNewsPicksさんから取材を受けました。
※ NewsPicks:【激白】SmartHR・芹澤CEOが語る「AIでSaaSはこう変わる」
「SaaS is Dead」論の不毛さに嫌気がさしていた僕は、ようやくNewsPicksさんの記事の話題化によってこの議論に終止符を打てたと、朗らかな気持ちで年を越したのです。
しかしなんということでしょう。2026年になってもなお、AI関連の新ツールが出たことでこの「SaaS is Dead」論が掘り返されてしまったのです。
今回は以前に増して様々な意見があり、僕自身も幅広くキャッチアップしているのですが、一点だけ全く納得のいっていない論点があります。
それは「AIがあれば業務システムを内製できるので、SaaSは不要になる」という考えです。
ここについては、SaaSで業務システムを提供する立場の代表としてはもちろん、それ以上に、エンジニアを出自とする身として一家言あります。
そこで、今回は「SaaS is Dead」を取り巻く議論の中でも、この「AIによる業務システム内製化の是非」について書いていきます。
そもそも「SaaS」と一括りになっていてカオス
まず、「SaaS is Dead」論を語る際に気をつけないといけないのは、SaaSというデカすぎる主語をそのまま使ってはいけない、ということです。SaaSというのは「ソフトウェアをクラウド上で提供するサービス」のことであり、いわばサービス提供方式の定義に過ぎません。そのサービス内容自体は当然様々で、GmailもNotionも、リビングでみているNetflixもSaaSです。
これらのサービスがすべてAI技術の発展によりDeadするのでしょうか? いうまでもなく、AI技術の発展により受ける影響の度合いも異なります。AIの発展がプラスに働くサービスも多くあるでしょう。
議論を見ていると「それはどの領域のSaaSを指しているんだろう」と思うことも多いので、語るなら、特定のサービスやカテゴリーまで粒度を下げて語る方が建設的だと考えています。
おそらく「SaaS is Dead」の文脈で語られているのは「SaaS型業務システム」だと思うので、以降、その前提でお話しします。
AIによって業務システムの内製化が進むのか?
さっそく本題です。
AIによって業務システムの内製化が進むのでしょうか。
結論、AIを使えば効率的に業務システムは内製できます。ただし、内製化の波は進まない、または進んでもどこかで立ち行かなくなると考えています。
僕自身もAIを使ったコーディングは実践していますが、コード生成技術の進歩は凄まじく、AIが理解できる要件定義を用意すれば、あっという間に「動くもの」が作られるのを目の当たりにしています。
この魔法のような感覚をもとに「高いお金を払っている業務システムも内製すればいいんだ」という境地に至る気持ちもわかります。
ただ、ちょっと待ってほしい。
その経験は多くのソフトウェアエンジニアがすでに10年以上前にしているのです。
そして、僕たちは多くの痛みとともに、業務システムを内製してはいけない理由を知っているのです。それを説明していきます。
業務システムを内製してはいけない3つの理由
1. 運用コストに対する甘すぎる認識
前述の通り、AIを使えば作るのはあっという間かもしれません。ただ、それは始まりにすぎず、そこから長い期間使い続けられるわけで、その維持にかかるコストは想像を遥かに超えます。
まず、組織の仕事の進め方や関連する法制度は絶えず変化します。当然、業務システムに求められる要件も変わるわけで、業務フローとシステムに乖離が生じるたびに、要件定義をしなおし、コードに反映させる必要があります。
もちろん、この改修作業もAIで効率化できると思います。しかし、システムが持つビジネスロジックが複雑になればなるほどコード変更の影響範囲は大きくなり、AIにすべてを任せることは難しくなるでしょう。
また、システムは往々にして突然の不具合に襲われるものです。自社運用している業務システムが業務中あるいは夜間に突然停止した場合、その対応に血と汗と涙を流すのは社内メンバー、つまり人間です。SaaSのいいところは、その管理コストをベンダーが保証・肩代わりしてくれるところにあるのです。
さらに、運用の属人化による不安定な持続可能性もよくある課題です。内製プロジェクトの立ち上げから関わり、運用も担当していた人が会社を辞めるとなって、引き継ぎ先が見つからずに焦る、なんてことはよくある話です。多くの場合、こういう時に「いっそシステムを切り替えよう」となり、同じ轍を踏まないためにSaaSが選定されます。
2. 軽視されるセキュリティとコンプライアンス
業務システム内製で軽視されがちなのが、セキュリティや法令遵守のようなコンプライアンスの側面です。多くの場合、業務を遂行するためのビジネスロジックにフォーカスがあたり、これらの非機能要件の優先度は下がりがちです。
ところで、皆さんは会社がベンダーのシステムを導入する際にどういうプロセスを経ているかご存じでしょうか?
最初は「何ができるのか」という機能のすり合わせから始まります。そしてやりたいことが満たせることがわかると契約締結に進むのですが、この段階で確実に発生するのが「セキュリティチェック」です。
多くの会社が、セキュリティの国際基準に基づく要件や独自のチェック項目を持っていて、対象システムがそれを満たしているかをチェックします。そこでは外部からの攻撃に対する防御に加え、社内での悪用の防止、つまり権限設定や監査ログの品質についても確認します。
さらには与信調査といって、サービスの提供が持続可能なのかどうかのチェックを行うこともあります。
システムベンダーに払っているお金には、こういったセキュリティやコンプライアンス上のリスクや責任をベンダーに肩代わりしてもらうことへの対価も含まれているわけです。
3. ベストプラクティスを再発明する無駄
SaaS型業務システムが提供しているもう1つの価値は「標準化された業務のベストプラクティス」です。
管理部門向けシステムに関してはこの傾向が顕著です。労務や法務、経理といった管理部門の多くの業務は会社の事業ドメインを問わず、多くの会社が類似した業務を行っているので、会社を超えて通用する業務のベストプラクティスが存在します。
つまり、多くのSaaS型業務システムはそれぞれの領域のベストプラクティスとセットで価値提供がされていて、そこに業務フローを合わせることで不必要な再発明を省いている、とも考えられます。巨人の肩に乗る方が効率が良いということです。
技術やノウハウがコモディティ化してくる中で、何を持って競争優位性を作るかという判断は、経営上とても重要です。標準に合わせるところは合わせつつ、本当に必要な発明に集中する、ということが求められています。
上記の3点から、仮にAI技術で内製化が進んだとしても、遠くない将来に内製化からSaaSに立ち戻る流れは間違いなくあるだろうと考えています。
ただし、SaaS型業務システムはこのままではいけない
ここまで、「SaaS is Dead」と言われる中で、業務システムにおいてAIで内製してはいけない理由を述べてきました。
では、SaaS型業務システムは安泰として、このまま現状維持で良いのでしょうか。
僕はこれについても「否」と思っています。
SaaS型業務システムが適応すべきシビアな変化はあります。
一度立ち戻って、多くの業務システムが謳っている「業務効率化」という価値について考えてみます。これは何も、SaaSの登場によって生まれたトレンドではなく、昔からオンプレ製品含め多くのソフトウェアが存在し、様々な業務をデジタル化で効率化してきています。
当然、AIのような技術革新による新たな効率化の可能性は出てきますが、基本的には、システムの普及に応じて効率化可能な業務の余地は年々減ってきていると考えることができます。
そして業務効率化とは、理論上、究極的には業務を自動化してなくしてしまえば、それ以上できることはなくなるのです。
もちろん現実的にはまだまだ業務効率化の余地はあるのですが、この前提のもと、業務システムとしてSaaSが遂げるべき進化を考えると、それは、業務効率化以上の価値を提供することだと考えられます。
業務システムは「洞察のためのシステム」に進化すべき
遡ると、業務システムは手書きの台帳をデジタル化することをルーツとしています。そこから、企業活動で発生する多くの情報を正しく記録する「System of Record : 記録のためのシステム」として発展し、情報の管理や検索を効率化してきました。
僕はAI時代においては、ここからさらに「System of Insight : 洞察のためのシステム」に進化するべきだと考えています。
蓄積した膨大なデータに対してAIや機械学習の技術を掛け合わせることで「未来の予測」や「最適な提案」を行えるようになります。企業は業務システムからデータに基づく洞察を得るようになり、業務システムが提供できる価値が広がります。
SaaS型業務システムを導入することで、作業効率が上がるだけでなく、意思決定の精度が上がり事業が成長する。こういう未来を作らなければいけないのです。
事業がハイグロースできるかどうかは技術要素で決まるのではなく、提供価値の深さで決まります。
改めて、業務システムを内製してはいけない
大切なことなので繰り返します。業務システムを内製することはオススメしません。
これまでに多くのエンジニアが社内システムや社内ツールの内製に手を出し、そのメンテナンスで痛い目にあっています。これはAI技術が発達しても変わらないのです。SaaSのサブスクリプション費用のなかには、機能だけではなく、日々の運用やサポートのコストも含まれているのです。
SmartHR社のバリューに「人が欲しいものを超えよう」というものがあります。僕たちは業務システムベンダーとして、どうしたら世の人の期待値を超えていけるのかをこれからも考えていきます。
願わくは、これ以上の業務システムの車輪の再発明が行われませんように。
Appendix
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